1)
蜂毒については、わが国ではハチの針を使う蜂針療法として、養蜂家の手で1920年代(大正末期)から行われていた。
誤って巣箱の上に倒れこんで、全身を刺されてしまった養蜂家の持病の神経痛が治ってしまったことが、その起源と伝えられている。
つまり養蜂家は、外来の知識ではなく、経験的に蜂毒の医薬効果を会得してきたのである。
そして漢方の影響の強いわが国では、鍼灸術を下敷きとする蜂針療法として独自の展開をしてきた。
1930年代から40年前後にかけて「神経痛・リウマチに対する蜂毒療法」「蜂毒主成分」「医薬としての蜂毒の応用」(延島、1936-42)「動物性毒素(蛇毒及ぴ蜂毒)の免疫学的研究」(千葉医大・杉下、1940)などの研究も行われ、「蜜蜂刺激療法」として、警視庁免許による営業としての施術が行われていた。しかし戦後の法改正(あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律・昭和23年1月1日施行等)の中では蜂針療法は対象から外されてしまったが、経避措置としてそれまでの免許者には鍼灸(一代)免許を与えて営業継続を可能とした。そして昭和35年(1960年)最高裁は「医業類似行為を業とする事を禁止するのは、人の健康に害を及ぼすおそれのある業務行為に限局する」判例を出し、同年3月の厚生省遅達と併せて前記法律の範囲内で蜂針療法復活の可能性も生まれた。
このような流れを受けて1979年、半世紀の歴史の後継者たち100人により日本蜂針療法研究会が結成された。
一方伝統的針灸医学を持つ中国では、ヨーロッパ種ミツバチの導入は日本より約40年遅れて1930年前後であったが、中国の養蜂家たちは同時に海外からの蜂針療法の吸収に努めた。
そして1980年江蘇省に蜂療医院を開設した房柱博士の指導により、蜂針療法を含むアピセラピー(蜂産品医療)が成立した。
1991年には、中国・日本・韓国三国の蜂療・蜂針療法団体による「国際蜂療保険蜂針療法学術会議(IAHB)」が発足した。
その第4回大会が1997年東京で開かれたが,その主催者としての日本蜂針療法研究会は300人を越える団体に成長していた。
同会の太田直喜会長は「蜂針療法基礎教本・まえがき」で次のように述べている。
「私たちが研究会創立以来20年にわたって体験し、実感してきたことは、多くの痛みの疾患、細菌性または炎症性の疾患に悩む人たちに救いの手を差し伸べてきたことです。
近代医学や薬学をもってしても満足な成果が得られない、つまり近代医学の盲点に悩む多くの人たちに感謝されてきました。更に高齢化社会で老化退行性疾患も急増中ですから、セイヨウミツバチの出番は数限りなく増えてくると思いますが,まだまだハチと聞いただけで恐怖心をかき立て拒絶反応を起こす方が多いのは残念なことで、日本中の人たちに蜂針療法の良さが実証・認識されるまでには、まだまだ時間が必要でありましょう」
2)
一方プロポリスは、凄い薬効を持った舶来モノとして上陸した。
1985年(昭和60年)、名古屋で開催されたAPIM0NDIA第30回国際養蜂会議のアピセラピー分科会で発表された幾つかの臨床研究は、初めて見聞する日本の関係者を驚かすには充分であった。日本のミツバチは、何故かプロポリスを多くは集めないという事情はあったが、その薬効に注目する人はそれまで殆どいなかったのだ。
1987年には養蜂家を中心に業者団体「日本プロポリス協議会」が結成され、10年を経ずして100億円、いや200億円市場だといわれるような急成長を遂げた。
1997年、プロポリスを研究対象とする科学者が一堂に会し、「プロポリス研究活協会」を発足させた。
日本で唯一のミツバチ科学研究施設を持つ玉川大学農学部教授松香光夫博士は、同協会代表幹事として、次のように述べている。(ミツバチ科学Vol. 19, No. 2,1998)
「日本でのプロポリス利用は、もっぱら健康食品としてのそれであるから、プロポリスの効果がどうであるか、何に効くかというような点は、論議の対象になりにくい。しかし、これからは健康食品的扱いの中にみられる民間療法的な知見の集積をくみ取って、研究(基礎)と利用(臨床、応用)のバランスをとる必要があるだろう。
アピセラピーの分野では、ハチミツ、ローヤルゼリーにせよ、そして今プロポリスでも同様であるが、西洋医学的な取扱いにはなじみにくいものがあるようである。日本では、漢方、東洋医学になじみがあるので、病気とその治療結果の対応が1対1にならないものでも、許される背景がある。それが、民間療法的暖味さを残してもいるのだが、これからは、そのような点も含めて科学的に解明してゆく必要があるはずである(酒井・松香、1991)。西洋世界でも同様の取り組みの必要が指摘されるようになって久しい。
日本でのプロポリスに関していえば、幸いなことに、消費者の増大に伴ってその効果が医薬学関係者の関心をひき、信頼できる研究結果が発表され、新しい知見が積み重ねられつつある。
特に画期的だったのは、1991年に当時、予防衛生研究所所属の松野哲也氏による、プロポリスから得られた新規化合物を含む成分の抗腫瘍活性についての日本癌学会での発表であった(松野、1992)。これをきっかけに、同様の、あるいは発展的な研究が増加し、水抽出プロポリス成分の活性や、アルテピリンCなどに関する研究が加えられた。そうなると、製品としての基準をどこに求めればよいかが問題となり、現在、日本プロポリス協議会を中心に、その議論か進められているところである。
何を基準にプロポリスの生理活性を検討するかも、重要なポイントとなる。その点で佐藤・藤本(1996)の採用したヒアルロニダーゼ活性阻害効果は、注目すべきものであり、このような工夫が発展すれば、プロポリスのもつ多面的効果にせまることが可能になるものと期待される。
しかしこれらの知見も、原材料の供給、試験方法の選択などいくつかの点で、相互に比較考察をして総合的なプロポリス像を描くにはまだ不十分である。そのような状況が、植物科学、ミツバチ科学、薬学、医学、そして臨床関係に広がる研究着が集うプロポリス研究者協会の組織化をもたらしたといえる。
同協会は、1997年11月に旗揚げをし、未整理であった分野の総合化をめざし、異分野の情報交流を通じて、高い研究レベルで、バランスのよい成果をあげてゆくことが期待されている。
ここ数年は、医学、薬学関係の学会には、必ず数件のプロポリス関連発表が見られるようになっている。これらの状況が意味するところを一般の方々に対しても、時宣を得て、かつ的確に捉えて紹介してゆくことも期待されているところであろう。
またその結果が、国際的な研究交流へと発展していくはずである」
3)
1998年には日本代替医療学会(本部・金沢/2000年日本補完・代替医療学会に改称)が発足した。これは1991年のアメリカの調査で、アメリカ人の三人に一人が代替医療の診察を受け、その医療費が通常医療費総額を上回る実態が明らかとなり、92年に米国議会が国立衛生研究所に事務局を設けて、代替療法の科学的研究の推進を決めたことで代替医療が世界的潮流となったのを受けたものである。代替医療には、中国医学、インド医学、免疫療法、薬効食品、健康食品、ハーブ療法、アロマセラピー、ビタミン療法等々すべてが代替医療に包含されるとしている。
日本蜂針療法、プロポリス研究者協会もこれに参加し、補完・代替医療の一環としてのアピセラピーという位置付けを明確にし、1999年に両組織共催で「アピセラピー学術講演会」を開催、また2000年にはH本補完・代替医療学会学術集会でシンポジウム「プロポリスと代替医療」を開催するなど、着実に日本のアピセラピーの基礎を固めつつある現状といえよう。(完)
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